昭和中期 隠れた名人喜友名作 思い出の古正與那城型三線 八重山黒木四つ割
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この三線の元の持主さんは既に故人となっていますが、生前交流がありまして、著書の中で紹介させていただいた方の従兄弟にあたりました。この方が生前お話しされた由来を私の解説と交えてお話しさせて下さい。
1970年初めに製作依頼をかけて完成された三線で、仲間の間で密かに人気の高かった喜友名という職人に打たせた一丁。友人と二人、八重山黒木原木を担ぎ、中部地区から那覇の安謝方面までバスで当時2時間以上をかけて向かった。喜友名は大正生まれの愛想の良いお祖父さんで、那覇の又吉楽器店(王府時代から続いた当時の名店)に何度も通い信頼を得て、直接指導を受けて三線技術を学んだ一人であった。しかし妻と子を養う身としては、三線では食っていけないと断念し、建築現場で大工の頭領として活躍。定年後は小さな瓦屋根の自宅の庭で趣味で三線を作り、その評判が上がっていた。なんと言っても昔風の三線に仕上げてくれるというお客の声の他、喜友名の誰にでも優しい人柄が更に評判を高めた。長さは現代的、それでいて顔立ちや鳩胸は昔の形状でと依頼。原木からは二丁出せるということで、友人と本人用に二丁仕上げることになった。本人は與那城だったが、友人は真壁であった。それから一年半かけて完成を知らせる電話が鳴り、すぐにまた友人とバスに揺られた。完成された三線は見事で、塗りは拘りのウルミ塗り、楔による本皮使用であった(後年人工皮に張り替えられた。状態から昭和後期頃と推測)。時間をかけた分非常に鳴っており、古典音楽向けにと野面は卵のような形状で作られており、左手が実によく手に馴染むのであった。もう一丁の友人の真壁も昔型の趣があり大変満足して中部に戻った。製作費は現在の約10万円であったが、安すぎるといって気持ち二万円を追加して差し出したが喜友名は決して受け取らなかったという。その後演奏会やお稽古で愛用してきた。昭和後期に皮が破れたため張り替えようと思い喜友名に電話したが、現在使われていないとのアナウンスが流れ、直接尋ねたりもしたが、別の住民が出てきて、1970年の後半には既に他界されたと知り非常に悲しんだという。平成に入って一緒に三線を作らせた友人も他界したが、暫くして三線のことが気になり家族に尋ねたところ、数丁を形見わけをしたためもう三線がどこにあるかどの三線だったかも分からないと告げられた。
この三線を見るとあの若い頃の自分たちの姿が甦るわけさぁ、と話していた持主のオジイでした。2010年の半ばに他界され、三線も形見わけをしたと聞いていましたが、奇遇にもご縁があり今回こちらでお預かりすることになりました。私が初めて見た頃と変わらず棹の状態も良く、塗りも当時のものですが目立った傷なく良い状態です。九分張りされた昔の人工皮も、昔のレコードで聴けるような乾きのある高音の音色で、非常に味わい深いです。まだまだ今後も末長く御使用いただける一丁です。この與那城に興味を持たれた方に是非ご検討いただけると嬉しい一丁です。これから愛情をかけてやってください。私も前持主さんとの思い出を振り返らせていただきました。この経緯が失われないようここに記します。どうぞ宜しくお願い申し上げます。沖縄から送料込みでお届けいたします。
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